谷川俊太郎氏(作詞者)より
 埼玉県立和光国際高等学校校歌
 
谷川 俊太郎
   
   
 校歌の作詞をするとき、大切にしなければいけないのは作詞者の個性ではなく、学校の個性です。少々古めかしいことばで言うと校風、それをどう表現するか、そこに作詞者の苦心がある。しかし新しい学校にはまだ校風と呼べるようなものが希薄な場合が多く、そんなときには校歌が逆に校風を作る要素のひとつとなることも十分あり得ます。としたら校歌の歌詞は、ありきたりのものであっていいはずはなく、新しい学校にふさわしい新鮮さを要求されるのではないかと思います。
 和光国際高校の場合、幸いにも「読んで、見て、そして考えよ」というモットーがすでにありました。私はこのみっつのことばを自分なりに解釈して校歌の主題にしようと考えました。第一節はことばそのものについて歌っています。人間は火を用い道具を使うことで、他の動物とはまったく違う進化の道を進むようになりましたが、それらにもましてことばというものが、人間を人間にしているのだと言えます。人間は誕生の瞬間から、地球上の大気にさらされるのと同じように、ことばにさらされるのです。ことばは人間にとって第二の自然とも言えるでしょう。
 ことばは私たちがこの世に生まれる前から存在しているものですから、私たちは他人の口まねをしながらことばを覚えていきます。ことばはもともとは他人のものです。しかし同時に私たちはことばを自分のものにしなければ、自分を表現することもできないし、他人と通じ合うこともできません。私たちの魂は、広大な大地のようにことば以前の記憶や感情に満ちてひろがっています。その沈黙にことばの根をおろし、注意深く育てることによって、私たちは自分のことばに、他人と通じ合える共通の意味を与えることができるのではないでしょうか。
 そのためには辞書に記されている意味だけがことばの意味ではないことを知らねばなりません。ことばの背後に隠されているさまざまな感情や、ことばになり得ない意識の流れを読みとらなければ、ことばはそのほんとうの意味を明らかにしないし、他人と気持ちも通じ合わないでしょう。読むという行為は、その対象が本であれ、人間そのものであれ、ひとつの対話であり、他者とともに積極的に考えることを私たちにうながすものだと思います。
 第二節の主題は、しいて言えば国際性ということになるでしょうか。現代世界が国々のあいだの協力、理解、交流ぬきでは成り立だなくなっていることは誰も否定できない事実です。しかし現実には政治的にも経済的にも、利害の衝突、権力のせめぎあいが、昔から私たちの生きる世界を動かしてきました。理想を歌いあげる美辞麗句は、そのような現実の前で力をもてませんが、私たちはそれでもなお各々のこころとからだのうちにひそむ静かないのちの力を信じることができます。
 何かを、誰かを見るとき私たちの感情はさまざまですが、たとえ憎しみをもって見るとしても、目をそむけずに見るという行為の中に、ひとりでは生きられない人間のいのちの、他へとむかわずにいられないエネルギーがひそんでいると考えてもいいのではないでしょうか。いのちはひとり人間だけのものではなく、この地球上のすべての生物に通じています。環境問題ひとつをとってもみても、国際的な協力が不可欠であるのは明らかです。よみがえる子らの歌声、それはあなたがた自身の歌声であると同時に、世界中の子どもたちの歌声です。
 歌詞についての説明がほしいという要望が学校側からあったので、不十分ながら作詞する上での私の考えの背景を述べてみましたが、これはあくまで作詞者自身の解釈にすぎません。私の書いたことばもまた「一粒の種子」にすぎないのです。 この校歌をほんとうにみのらせることのできるのは皆さん自身だということを、忘れないでいて下されば幸いです。